東南アジア ”家族”というものの考え方
俺が考えてた家族とは違う
ここでは、家族というものの捉え方が大きく違う。
日本で生まれ日本で育った僕には、家族というと親父・母親・兄弟。
これが僕の日本の家族。
親戚づきあいはいいほうではないのだけど仲良くしている親戚はいくつある、
でも彼らは家族というわけではなくてあくまで親戚という考え方。
家族と親戚は明確に分けられているのだ。
日本人の家族の考え方はどこもこんな感じなんだと思う。
一方ここでの家族というと、上記でいう家族+親戚=”家族”となる。
ばあちゃんも爺ちゃんも姪っ子も、甥っ子も義理弟もすべて家族なのだ。
それぞれの兄弟も日本みたいに多くて3人とかではなく、マジで10名ぐらいいる。
日本人からするとかなりのBig Familyだと思う。
ぶっちゃけ数が多すぎて”家族”がどういう血のつながり方をしているかも
未だに詳しく把握していない。
もっと詳しく言うと”家族”というBig Familyの中に、”仲の良い家族”がいくつかいて
その”仲の良い家族”のつながりは半端ない。
しょっちゅう家に来るし、互いの家への行き来の頻度は半端ない。
ここまでをちょっとまとめると、
●日本の場合
”家族”=親兄弟のみ
●この国の場合
”家族”=”親兄弟”+血のつながりのある親戚みんな
(この家族の中に、”仲良い家族”という少し小ぶりの団体が存在)
ということになる。
多分多くの日本の方には理解できないのだろうと思うし、
実際この考え方を身につける(*解明する)にはかなり苦労した。
*解明すると言っているのは、彼らも僕の考える日本の”家族”について把握してもないので、当たり前すぎて彼らの教えてくれるわけもなく、自分で根本原理を解明するしかないという意
核家族の日本で育ってきた僕からすると、「よそはよそ、うちはうち」という考え方をついしてしまうのだが、この考え方ははっきり言って通用しないのだ。ここでは。
つーか、その考え方はNG。だって全員家族なんだからさぁ。
あぁ、俺だけベクトルがずっと合ってなかったんだなと
結婚して数年後にやっとこの捉え方がわかったのであります。
学校では、よく「異文化を学びなさい」とよく言われますけども、
それは言うほど生半可なことではなく、
・ここでいう学ぶってことは勉強ではなく、つらい経験をするってことで
・異文化というのは、異文化ではなくそもそも自分を知れ
ということに最近気づいたのであります。
ほら、海外に住むって 大変でしょ。。